2007年5月23日 (水)

上手くいかなくても、喜ぶ

 先日、あるがん関連団体で私の主治医が肺がんについて講義した。90分で肺がんの基本知識を得ることを目的とするもので、肺がん患者歴3年の私にとって、初出の内容はないかもしれないと思いつつ、聴講した。

 日頃、よく顔を合わせている先生だが、「おっ」と思うことがあった。

まず、肺がん治療=医療に「絶対的なもの」がないことを承知してほしい・・・。←この種のことは、話したことがある。

-ほとんどの治療は「チャレンジ」である。

-上手くいったら、「良かった」と喜ぶ。

-上手くいかなかったら、「無形の財産」に喜ぶ、もしくは「次へのチャレンジの糧」にする。

 自分でいうのもなんだが、割と楽観的で前向きな私は最近、ちょっとやそっとの悪い知らせに落ち込まなくなった。上手くいかない場合、「次へのチャレンジの糧」にする・・・・・「まさに私がしていることじゃない!」と思ったが、意味するところの重さと厳しさを感じ、心が固まる。がんサバイバーであるとは、なんて、超人的な努力を要求されるのだろう。

 がんサバイバーなら気にせずにはいられない5年生存率は「10~30%」とあった。肺がんの場合、手術できないほど進行した状態で見つかる人が多いため、こんな数字になってしまうのだ。ちなみに、私は手術をした後に、再発した。なので、病期も当初の「1期」から「4期」に変わるのかと思っていたが、確認すると、あくまで、「1期」に含まれるという。それなら、私があてはまる5年生存率は70%ぐらいとなる。4期だと20%ぐらいだ。50%のアップ。これは、よい知らせである。大喜びしなくちゃいけない。

 でも、私は少し喜んだだけだ。結局、がんって、個人差が大きい。データがそのまま、個人にはあてはまらなくても、全然、不思議じゃない。これが、3年のサバイバー生活で得た最も重要な認識だろう。

 だから、治療が上手くいっても、上手くいかなくても、とにかく喜ぶ・・・。これが、肺がんサバイバーの正しい姿勢なのかもしれない。

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2007年5月 3日 (木)

マータイさんの言葉「へこたれない」

 2004年のノーベル平和賞受賞者、ワンガリ・マータイさんが来日していた。彼女は1977年からケニアで「グリーンベルト運動」という女性による植樹活動を指導し、これまでに3000万本の木を植えたという。その彼女が自伝を書き、日本語版が出版された。原題は”UNBOWED”、邦題は「へこたれない」となっている。

 マータイさんは最近まで、ケニアの副環境大臣を務めるなど、同国の民主化とともに、活動の範囲を広げているが、過去の抑圧的な政権下では抑圧され、投獄も経験した。女性の自立や民主化を求めたことが、反政府的とみなされたのだ。

 温暖化などの地球環境問題に対する認識は今日では、これほど高まっているが、1970年代にはそんな言葉さえ無かったはずだ。マータイさんは開発の名の下に、森林や水辺が消えていくさまに衝撃を受け、運動を始めたという。その先見の明はすばらしい。そして、相当の年月が経過していたとはいえ、彼女をノーベル平和賞に選んだノーベル委員会もすばらしいと思う。まさに、人類の宝のような人だ。

 マータイさんの姿を直接、目にし、スピーチを耳にする機会があった。力強く、説得力があることはもちろんなのだが、勇ましい言葉や親しい人との会話の合間に、少女のような表情を見せる。そんなピュアな魅力が人々を惹き付けているのだろうとも思う。

 マータイさんは語った。「困難に直面しても、へこたれないないで。夢や信念をもって、進んで」と。

 私もそうなれたらと思う。がんサバイバーのエンパワメントという目標に向かって。

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2007年4月 5日 (木)

ランス君と対面へ、助成金を申請

 昨日は疲れた。しかし、気持ちはルンルンだ。

 化粧品メーカーのエイボンが乳がん予防キャンペーン「ピンクリボン」にちなみ、乳がんの予防と啓発、早期発見、さらにがん患者へのサポートに携わる市民活動に助成をしてくれる。その申請締め切りが7日必着なので、その提出作業をした。

 申請したプログラムの中に、米国でがんサバイバーのシンボルとなっているランス君へのインタビューを織り込ませた。実現できるかどうか、自信は全く無いけれど、せっかくの機会なので、チャレンジあるのみ!!

 実は、私たちの仲間には乳がんを治療中のサバイバーがおり、早期発見を強調しすぎることには心理的な抵抗感が無くはなかった。2月に行われた大腸キャンペーンのときも書いたが、早期発見で早期治療ができるにこしたことはないものの、治療はそれでも簡単なことではないこと、また、早期をすぎた状態でがんが発見された患者でも、「見捨てられたくはない」と強く願っていることは、広く知って欲しいのだ。体験者ならではの主張だ。

 私たちは今年初めて、この助成に申請したが、今年から「患者や家族へのサポート」の活動も対象になったのは、とてもラッキーだった。私たちが応募したのは、この分野だ。結果の発表は7月末。どうにか、資金を獲得し、思い描く活動を実施したい。

 ランス君に会いに行きたい。

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2007年3月14日 (水)

喫煙と肺がん

 今日、喫煙に関するニュースを2本、読んだ。

 今年1月、全国の30代~60代の男女1000人を対象にインターネットで行った調査では、調査対象者のうち、25.1パーセントが喫煙者であり、24.7パーセントが過去に喫煙していたが、現在は吸っていない、50.2パーセントが非喫煙者だった。9割以上が、「喫煙によってかかる病気で思いつくもの」として、肺がんを指摘した。喫煙者の51.0パーセントは、『自分もいつか肺がんになるかもしれないと思っている』と回答し、喫煙のリスクを知りながらも吸い続けている人が多いことも明らかになった。

 「どうしたらタバコをやめられるか?」の問いに対しては、「大きな病気にかかったら」という回答が、最多の54.2パーセント。「何があってもやめられない」という回答も11.2パーセントみられた。

 「おいおい」と言いたくなった。裏を返せば、喫煙者の半数は「自分はいつか肺がんにならないと思って吸っている」ということだ。もっとも、「自分は肺がんにならない」と思えるからこそ、吸い続けることができるのだろうか。さらにいうと、肺がんの恐ろしさを十分に認識していないのかもしれない。肺がんは現在においても、最も死亡率の高いがんだってことをあなたはご存知か。

 私は喫煙者じゃないのに、肺がんになった。しかし、思い起こせば、受動喫煙は大いに経験した。十数年前の職場は、くわえタバコ、あるいは、火をつけたタバコを灰皿に置きながら仕事する輩がうじゃうじゃいたからだ。

 肺がんは日本でも米国でも、女性がん患者のなかで増えていることも要注意だ。これは、女性喫煙者の増加と関係があるとみられている。

喫煙は自分のみならず、周りの人の健康をも損ねる行為なのだ。かっこよくなんかないぞ。吸っている人は早く、やめてけれ。

 もう1本のニュースは青少年を対象にしたもの。文部省が昨年、行った調査で、「たばこを吸いたいと思ったことがあるか」と尋ねた。「吸いたいと思ったことがある」小6男子は8%(前回2000年は15%)、中3男子13%(同28%)、高3男子26%(同44%)だった。

脱タバコ社会の実現は、まだまだ先のようだ。

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2007年3月10日 (土)

上海でお茶を買った

 先週末、中国・上海を旅行した。 躍動する中国経済を象徴する街である上海へ行くのは、初めて。中国への旅も前回の香港行き以来、10年ぶりだった。 2泊3日の滞在で訪れたのは、最も有名な観光地である中国式庭園の豫園、その周辺の繁華街、豫園市場、庶民的な町並み、租界時代に立てられたバンド、フランス租界の西洋館、そして、高層ビルが立ち並ぶ浦東など。短い滞在だったが、上海がもつ奥深さやパワーに触れた。上海について、既に、世界的都市であった過去をもち、近年、再び目覚めたという印象をもった。「生半可な街ではない」ということだ。

 がん患者だからこその経験もした。豫園の中で、上海中医大学卒の薬剤師と称する男性が、中国茶の紹介および販売をしていた。巧みな日本語と医学知識を駆使し、がん、痩身、免疫力向上などの効用があるという9種類の茶葉を販売していた。あまりに説得力ある話ぶりに、私はがん患者にいい茶を尋ね、教えてもらった2種類を買ってしまった。抗がん作用があるとして紹介されたものは、日本で名前を見かけたことがあった。

 「還暦前になったがんは治る場合が多い」「短気を起こしてだめ。ゆったりした気持ちをもつことが大切」などの彼の言葉は、私にとって響いた。中医学の薬を求めて上海を訪れるがん患者がいるという話は聞いたことがあったが、今回の私の旅は、全くそんな意図は無かった。それでも、こうした出会いがあったことには、因縁めいたものを感じた。

 買ってきたお茶は大切に飲むつもりだ。

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2007年3月 1日 (木)

ランス君の挨拶

 ランス君が設立したLance Armstrong Foundation (LAF) は今年1月、創設から10年が経過した。彼らが経験してきた活動、米国におけるがん政策の変遷をたどる意味で、同財団ホームページに彼が書いた挨拶の和訳を載せる。

私は、自分がなぜ、がんに対する闘いになぜかかわっているかということを日々、思い起こさせられる。

手術跡を目にしたり、私の子供たちの笑い、そして、ランス・アームストロング財団に届く手紙の束や電話---これらすべてが、私が自転車で上り坂を登るときに味わうのと同じほど強烈な勝利と苦痛をもたらし、私が1996年にがんと診断されたことに始まる苦闘への、さらに重要な勝利を思い起こさせてくれる。

私は幸運だ。私の人生の目的は大変、明確になっており、私にとって最も重要なもの--がんサバイバーの声、彼らのニーズや誰がこの問題をよく知っているか、ということについての彼らの意見--によって、日々、強められている。

私たちは毎日、数え切れないほど多くのがんサバイバーから話を聞く。彼らは世界中に存在している。我々が助成しているコミュニティー・サービスの利用者もいれば、一緒に政府へロビングする人々もいる。彼らは我々の研究に興味をもち、彼らのユニークな経験を分かちあうことを望んでいる。彼らは永遠に生き、猛烈に闘いたいと望んでいる。すべての人々がそう必要はない。最近では、多くの人々が私と同じように、"LIVESTRONG"のリストバンドを誇らしげにはめている。

我々の"LIVESTRONG"リストバンドに対して示された情熱は、我々のプログラムへの資金獲得への驚くべき、そして、予想していなかった道具になったばかりでなく、我々の努力を感謝してくれている3200万人以上の人々への命綱となった。彼らは大胆に、自分のこと、がんが人生にどう影響を与えたかを語り、感謝を表してきた。

実際、歴史におけるいかなる時も、過去10ヶ月ほど、多くの人々ががんについて語ったことは無かっただろう。そして、これは重要だ。いまだに多すぎる人々ががんで生命を失っているが、それよりも多くの人々が生き残っている。がんの診断に伴い、多くの実際的、肉体的、感情的問題に直面しながら。化学療法の長期的な影響から、再発の恐怖、仕事や健康保険、貯金を失うという恐怖などの事柄は、我々の福祉政策の課題であり、さらに重要なことに、がん発症後の個々人の生活の質(QOL)に著しく影響を与える。

LAFはがんの研究に数千万ドルを助成している。我々は全米でがんと共に生きる人々のために、緩和ケアから生殖機能の保存や回復のプログラムまで、直接的なサービスを提供する100以上のコミュニティー・レベルのパートナーに助成している。これらのプログラムの対象には、ニューヨーク市のアジア系移民、言語の壁にぶつかっているネイティブ・アメリカン、健康保険を必要とするロサンゼルスのヒスパニック系の子供たちなど、多様なコミュニティーを含んでいる。

全米中のがん関係機関と連携しながら、我々はCenters for Disease Control and Preventionとともに、十分なケアを受けられていない人々のニーズを訴え、がんと共に生きるすべての人々が地理的条件、社会経済的地位、がんの種類、そして年齢にかかわらず、情報とプログラムへのアクセスが保障されるようにするための計画を策定した。

今日、フォート・ワースにあるCook Children's Medical Center 、クリーブランドのRainbow Babies、ボストンのDana-Farber Cancer Institute、ペンシルベニア大学、そしてNevada Cancer Centerなどに、サバイバーシップ・センターがある。我々の”がんサバイバーのためのLIVESTRONG資金”が毎月、20万人以上の人々の役に立っており、彼らの多くが、国で最も古く、尊敬されているがん団体の一つ、CancerCareとの連携による、直接的なサポート・プログラムを利用している。

私たちの財団が1997年に創設されて以来、国立がん研究所のがん・サバイバー部門が4倍に拡大したことに、私は誇らしく思う。私は大統領に対して、わが国のがんの状況について報告する諮問機関のメンバーである。諮問機関は昨年6月、がん告知後の生き方についての報告書を発表した。ついに、国のトップレベルの公衆衛生機関とがん関係団体のすべてがこの問題に焦点を当てている。

そして、我々は今後も彼らと闘いを続けるだろう。LAFはがん関係団体のなかで最大でも、最強でも、最も裕福でもないが、最も優れた団体の一つでありたいと望んでいる。我々の精力的、かつ、献身的なスタッフは、受益者、資金提供者、ボランティア、我々が指導を仰ぐ機関などともに、みるみるうちに成長している。我々は国の最高の腫瘍研究者や公衆衛生の専門家らに、我々の理事会や顧問団に入ってもらったり、我々のイベントで講演してもらい、緊密に連携している。

我々はがんとともに生きる1000万人以上の米国人を支援し、彼らの家族や友人たちと連携する。我々は彼らの夢を支援し、彼らの世話をする人々と共に働く。彼らのニーズが我々の活動やプログラムに反映される。がんサバイバーが我々のミッションを導き、我々のビジョンを強化する。なぜなら、我々は彼らが自分自身のままで、人生を生ききるように手助けすることに情熱を傾けているからだ。

強く生きよう。

ランス・アームストロング

がんサバイバー、Lance Armstrong Foundation創設者

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2007年2月28日 (水)

医者不足

 北海道で、小児科医の突然死について、遺族が申請した労災申請が認定され、遺族補償年金の支給が決定した。この医師は月100時間以上の時間外勤務をし、泊まりは3、4回。病院外で緊急患者のために待機する当番は月20~25日に及んだという。

 最近、医師不足、医師の過密な勤務などに関する報道がとみに増えている。多くの健康な人々にとっては、病院は日常的に通う場所ではないので、こうした実態に触れている人は多くないかもしれない。あるいは、外来診療にかかるだけでは、なかなかわからないかもしれない。「3時間待ち、3分診療」のような目にあうと、自分の不快感が先にたち、医師や病院全体がどんな動きをしているものかまで、想像しにくい。

 私も2年余り前から入院するようになり、実情を垣間見ることができた。私は重篤な症状の患者ではなかったが、朝、夕と2回、主治医(外科)の回診があった。週末でも、朝1回はあった。主治医が朝、6時半に病室に来たりしたのには、驚いた。看護師は昼間のみならず、夜中も病室を回る。「外の常識が通じない世界である」と感じた。大学病院ならば、医師はこうした診療のほかに、研究や教育にも従事するので、さぞかし大変であろうということは、想像できた。

 産婦人科医をしている知人と話すと、産婦人科医の不足、産婦人科が減っていることなど、「当然の結果」という。まともに仕事をしていると、人並みに生活を楽しむ余裕など無いようだ。「こんな事態が起こる前に、日本人のひとりひとりが医療についてどれだけ考え、支えるために何をしてきたのか、と問いたい」と言った。

 メディアで紹介された医師らのコメントを読むと、日本の国民皆保険に基づく医療制度そのものが崩壊に向かっているとの危機感までもっているように感じられる。まだ、遅すぎないと思いたい。医療の問題は政府や政治家らに任せきるべきものではなく、国民も十分に理解を深めながら、議論に加わっていくべきだろう。また、健康についての教育も、早い年齢から徹底されるべきだろうし、社会、経済的、政策的観点からもみていかなければならないと考える。

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2007年2月27日 (火)

責任をもつこと

 昨年、ノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのグラミン銀行総裁、ムハマド・ユヌス氏に2001年、インタビューした。同氏は、貧しい人々が無担保で少額の融資を受けることができるマイクロ・クレジットを考案し、自ら銀行を設立して、普及に努めた。20年余りを経た現在、マイクロ・クレジットは世界中に広まり、貧困撲滅の有効な手段として活用されている。教育を十分に受けていない、貧しい人々が現金収入を得る事業を始め、マイクロ・クレジット機関のルールを守りながら、少しずつ借金を返済していく。「自分たちの生活を良くしたい」「子供には教育を受けさせたい」などの強い動機があるから、借り手は困難を克服し、経済的自立を目指すことができる。

 ユヌス氏が語った言葉で最も印象的だったのは「貧困は慈善では解決しない。解決させるには、人々に責任をもたせることだ」。その時は「責任」という言葉が重く響いた。確かに、善意だけでは、貧困問題が解決できないことには同感だったが・・・。

 私はその後、がんを患ったり、自分でNPOの活動を始め、今では「責任をもたせる」とは、当事者が能動的に、主体的にかかわることの大切さを意味していると考えるようになった。自己責任を負い、他人任せにできなくなって、人は初めて、必死になる。「自分の努力で結果が変わるのだ」と思えば、ぼやぼやしてはいられなくなる。受身でいる間は、その人の潜在的な力は十分に発揮されない。

 闘病でも、「医者に治してもらう」のではなく、「患者自身が治す」と思ったほうがいい。

 とはいえ、このランス君プロジェクトも、自分たちのNPO設立も、自らの意志で進めているが、簡単ではない。自分たちの身の丈をはるかに超えた事業に挑戦しているような気がする。よちよち歩きであるだけに、金銭的にも、ノウハウの面でも、サポートが欲しいし、それ無しには活動は展開しないし、メッセージは広がらない。「がん患者・サバイバーの尊厳を守る」という揺るぎ無い動機を支えに、自分たちなりのミッションとビジョンを示し、支援を得ていきたい。

 

 

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2007年2月26日 (月)

清志郎さんに直訴!?

 23日に「清志郎さんが回復」との原稿を書いたが、これを受けて、相棒のきゃんべるが急遽、手紙を携え、国立のギャラリーへ。自転車を愛し、"LIVE STRONG"リストバンドをはめ、がんとの闘いから復活した彼に、私たち、”We need LANCE委員会”への協力をお願いするためだ。吉報を待ち望む。そして、Wish us luck !!

  別の仲間が、”LIVE★KIYOSHIRO”なる活動をしている人々を見つけた。清志郎さんのファンが、彼の回復を願って、行動を起こしたようだ。

http://www.softbrains.co.jp/live-kiyoshiro/office/index.html

 清志郎、ランス・・・ 熱く生きる人の熱は、多くの人々を動かす。そのパワーをもらいながら、がん患者の"LIVE STRONG"をアピールしたい。

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2007年2月25日 (日)

20年後の「生きるって何だろう」

 昨晩、友人とタイ料理店で会った。ふと、ちょうど20年前のこの時期、初めてタイ、ベトナム、カンボジアを旅したことを思い出した。私の人生で最も衝撃的な経験だった。

 アジアへの旅人がまだ、多くはない頃だった。当時のベトナムは鎖国状態に近く、カンボジアではまだ、内戦が終結していなかった。勇んで出かけた私は毎日、想像しえなかった現実を見て、驚き、打ちのめされた。また、困難な状態にあっても、立ち向かっている人々を知り、感動させられた。

 最もショッキングだったのは、ベトナムのホーチミン市で見た光景。外国人が泊まることができるホテルは限られ、その1軒、サイゴン河に面すホテルが私たちの宿だった。玄関前の道の向こうに、子供たちがたむろしていた。外国人に物乞いをするためだった。彼らは、ベトナム戦争中に使われた枯れ葉剤の影響なのだろう、体に重い障害がある子ばかり。下半身が無くて、手で歩く子供が2人くらいいた。ある子は立って歩けず、終始、よつんばだった。やがて、彼らが私に近づいてきて、手を出した。私は戦慄した。「嫌だ。見たくない」と思ってしまった。どうしたらいいか、わからなかった。ホーチミンでの最初の晩、なかなか寝つけなかった。「なぜ、あんな子供たちが路上で物乞いをしなくちゃいけないのか--」。それから、彼らを避けるように気をつけながら、数日を過ごした。彼らと向き合う度胸は、私には無かった。「この国は、これほど貧しい」という答えはみつけた。しかし、「あの子たちにとって、生きるってなんだろう」という問いへの答えは浮かばなかった。

 次に訪れたのは8年後の1995年で、ベトナムはドイモイ(経済改革)政策が進んでいた。外国人観光客が多く訪れるようになり、街の雰囲気は別の国のように変わっていた。あの場所に、あの子供たちはいなかった。私の関心は、ホテルの周辺でガムやココナッツ・ジュースを売る少年たちに向かった。うそ泣きしながら、品物を売りつけようとしたり、私が担がせてもらったらふらついてしまったほど重い、ココナッツの実を入れた天秤ごと、走って、私を追いかけてくるような、元気で、たくましい子供たちだった。全く違う子供たちの姿に触れ、ほっとするところがあった。

 99年の訪問では、ホーチミン市内のツーヅー病院を訪れた。枯れ葉剤の影響を受けて生まれた障害児の病棟があり、もしかすると、外国人に見せることを意識されていたせいか、明るく、清潔に見える建物だった。ベトちゃんとドクちゃんもいた。子供たちは小ぎれいな服装をして、大体の子は元気で、朗らかで、子供らしかったが、びっくりするような肉体の欠損があったりした。私の想像を絶する人生を生きる子供たちが、まだ生まれ続けていると知った。

 20年前の私は五体満足で、健康だった。自分の未来になんの不安もなかった。今の私も見た目はそう変わらないだろうが、再発したがんという、懸案を抱えている。それもあってか、誰かについて、かつての私ほど単純に、ナイーブに、”他人事”として、「生きるってなんだろう」とは問わなくなったような気がする。自分が生きる意味はわかっていないし、他の人も私の人生の意味はわからないだろうと思う。「生きるって何だろう」と考えながら、生きていることが結局、生きるってことなんじゃないか。夢や希望に励まされることもあるが、それらがはじけて、落ち込むこともある。自分の人生は自分でもわからないし、なかなか思い通りにはならない。まして、他の人の人生など、わかるはずがない。言えることといったら、「おそらく、誰にとっても、生きるって重く、難しいlことなのではないか」くらいだ。

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2007年2月24日 (土)

健康かつ美人になる!

 髪の毛、爪、靴など、体の先端部分に気を遣うと、美人に見えるそうだ。昨春受けた化学療法の後に脱毛し、私の髪はまだ短いので、髪のおしゃれはできない。しかし、手軽で、効果ありとみて(?)、私は手の指のマニキュアをサロンで塗ってもらっている。自分で塗る場合にはあり得ないほど美しい仕上がり、そして、気持ちのリラックス効果を考え、お金を出すのは惜しくないと思うことにした。通常の塗り替えなら、毎月、何回利用しても定額というサロンのメンバーになっている。
 私は抗がん剤を飲んでいるせいか、爪が欠けやすい。それもあって、爪には気を遣う必要がある。
 料金システムからいって、行く回数が多ければ多いほど、お得なサロンだが、出向くことがおっくうになることがある。一言でいうと、忙しいから。

 二番目のやっかいな問題。私は運動をしなければならない。これも、見た目がよくなることにつながる。しかし、がん患者にとっては、それ以上の重要性をもつ。
 米国最大のがん患者団体である米国がん協会(ASC)が昨年11月29日、”A Cancer Journal for Clinicians”に発表した「キャンサー・サバイバー(がん経験者)向けの食事と運動についてのガイドライン」によると、

・摂取カロリーに見合った運動をすること。太りすぎに注意すること。太りすぎている場合は、医師と相談しつつ無理なく痩せること。ただし、急激に痩せることは体に良くないので、週に1キログラム程度を上限に少しずつ体重を減らすこと。

・成人は、通常の活動に加えて、週5日以上、30分程度の中程度以上の運動をすること。45分から60分程度の計画的な運動をすることがより望ましい。未成年の場合は、週5日以上、60分以上、中程度以上の運動をすること。

 つまり、規則的に運動することが、がん患者の予後を左右しかねない。私だって、運動は嫌いじゃない。でも、やはり時間を費やさなければならないのが問題! 私の運動量は最近、目に見えて減っているのが気になる。

 さらにまずいことに、最近の私は食もおろそかになっている。自宅での食事は基本的に玄米菜食だが、出かけることが増えると、外食が増える。料理する時間がとりにくくなる。食事も予後を左右しかねない要因なのに、こんなことでいいのか。

 忙しくても、時間のやりくりはもっと上手にできるかもしれない。こなそうとしないのが、いけない? 心の余裕を失っているのかも。でも、一生懸命になりすぎるのも、ストレスを抱えそう・・・。こんなふうにどっちつかずのままいくと、私のサバイバル・シグナルは点灯しちゃう?

 ネイル・サロン、運動、食事・・・。これらが私の生活にどう位置づけられているかをみれば、私の健康状態と心の余裕を知る助けになる。健康かつ美人になるために、ちゃんと取り組もう。

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2007年2月23日 (金)

清志郎さんが回復

 2月19日の原稿「自転車を愛す」のなかで、自転車好きの有名人として歌手の忌野清志郎さんについて触れた。今日のスポーツ・ニッポン紙に元気な姿が紹介されていた。http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2007/02/23/07.html

 闘病生活に入る以前の清志郎さんが、"LIVE STRONG"のリストバンドをしている写真を見たことがある。きっと、同じようにがんと闘ったランス君のことを思ったりしながら、抗がん剤の使用にも耐えたのではないか。彼が歌う姿、自転車に乗る姿を見たい。ぜひとも、がんサバイバーの心意気を示してくれ!

  Lance Armstrong Foundationのホームページ風にいうと、

"I AM KIYOSHIRO.  I LIVE STRONG." 

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希望をつなぐ仕事

 昨晩、NHKで放映された「プロフェッショナル」で専門看護師として働く女性を取り上げていた。高度な医療知識をもち、生命の瀬戸際にいる患者たちを全力を尽くしてケアする毎日を送る。看護とは、「懸命に生きようとする人の希望をつなぐ仕事」と述べていた。「医学の限界、看護の限界があって、命を救えるときも、救えないときもあるが、最善を尽くすことが、厳かな命に対する医療の重要なあり方なのだ」とも語った。

 「医龍」の朝田龍太郎のような医療従事者が、実際にいるのだ。2月11日に掲載されている原稿を書いたとき、日本の医療従事者をみくびっていたと少し、反省した。

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”乗馬療法”は”生きがい療法”

 東京都葛飾区は2007年度から、お年寄りに小型馬(ポニー)の乗馬経験を通じて、介護を必要としない体力を養ってもらう「シニア版ポニースクール」を開校する。同区は1995年に区立公園に乗馬施設を設け、障害のある子供や不登校児がポニーに親しむプログラムで効果をあげてきた。お年寄りは、機械を使うトレーニングより、ポニーに馴染み易いだろうと考えられた。

 乗馬は馬上で体のバランスを保つために、筋肉が刺激されたり、馬上から景色を楽しみ、馬と触れ合うことで癒し効果があるといわれている。そういえば、乗馬による体力づくりは注目されているらしく、同じ効果をもたらす健康機器が人気を集めている。

 私は乗馬が好きだ。またがるのはポニーでも、マシンでもなく、サラブレッドなどの大きな成馬だが、「乗りこなす」には程遠い腕前である。数年前に二十数鞍(一鞍は45分のレッスン)の短期講習を受け、社団法人全国乗馬倶楽部振興協会が発行する4級ライセンスを取得した。その後、しばらく途絶えていた。実際のところ、馬を自由に操るようになるには、百鞍ぐらい乗る必要があり、そこまで打ち込む覚悟がつかなかったためである。時間もお金も相当、投入しなければならない。

 再発した肺がんに焦った私は昨年の初夏、乗馬を再び、始めようと決意した。馬に触れることに、癒しを求めたくなった。

 検討の結果、以前通った成田空港の近くの乗馬クラブではなく、都心にある某名門乗馬クラブに行くことにした。通うのに、時間をかけすぎたくはなかった。時間とお金のトレードオフと考え、妥協した。持っていなかった帽子、ブーツ、キュロットはセールで購入した。

 レッスンはコーチとのマンツーマンで行われた。グループレッスンばかりだった以前とは、緊張の度合いや厳しさが違う。基本の並足、早足、軽早足、さらに駆け足と進む。おそらく、はたで見ていると、たいしたスピードが出ていないのだろうが、乗っている本人は必死である。馬上で姿勢を保ち、両脚で馬の腹に力を加えるというだけでも、大変な体力と集中力がいるのだ。汗がすぐに、滝のように流れた。

「どひゃー」

馬が4本の脚で地面をける「駆け足」になると、受ける衝撃は慄然とするほど。驚いた。成馬は500キロぐらいの体重があるので、そのパワーで我が身など吹っ飛ばされそうになる。そこで手綱を引っ張ると、馬を止めてしまうので、自分の体をコントロールしながら、馬をうまく走らせなければならない。まさしく、「馬術」なのだ。

 巨大な生き物である馬の旺盛な生命力を感じることが、私の生物的本能を目覚めさせるような気さえした。それが、がんに対しても、いいかも!? 日常生活では絶対に味わうことのない感覚とこれだけ必死になるという経験に、大きな意味を期待した。

 こうした我流の”乗馬療法”は昨秋以降、時間的、資金的に厳しくなり、中断している。医療費がかかるので、近くの公共プールで泳ぐほうが時間的、資金的にパフォーマンスが勝っていると、納得するようにした。

 がんに対する”乗馬療法”の治療効果を見極めることはできなかったが、乗馬は、自分にたまに許してあげる贅沢として、続けたいと希望している。私はいつの日か、映画「ロード・オブ・ザ・リング」が撮影されたニュージーランド南島の荒涼たる大地を馬で疾走するという夢をもっている。夢や希望をもつことは、前向きに生きるための支えとなる。私にとって、”乗馬療法”は”生きがい療法”でもあるのだ。

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2007年2月22日 (木)

皆で支える医療

 ある病院にボランティアによる新しい活動を導入できないかと奮闘する外国人夫婦と知り合った。夫婦はその病院で白血病のために、愛息を亡くした。病院に対し、自分ができる貢献をしたいという気持ちをとても強く持っている。「病院の治療のレベルは世界でも最高です。でも、患児と家族のためのサービスやボランティアの活動は、もっとできるのではないかと思う」という。そのためにNPOを設立し、活動資金を精力的に集めた。

 私たちもがん患者であるし、彼らは日本の事情にうとい面があるので、手助けすることになった。

 しかし、病院の了承が得られず、彼らの計画は頓挫している。病院側は、院内に外部の人が入ることへの抵抗感を強くもつようだ。小児病棟の場合、病原菌の持ち込みを警戒し、部外者の来院や面会を制限することにつながっている。部外者が来て、新しい活動を始めた場合の責任の所在も、反対理由にあげられた。人件費を含む経費の削減要請が強いことが背景にあるようだ。さらに、従来から存在するボランティア・グループとの軋轢が心配された。それぞれ、仕方がない面があるかもしれないが、病院側がより柔軟に、きめ細かく対応し、協力の申し出を生かすことによって、現状を改善し、入院患者や来院者の満足を増すことはできないのか。

 彼らは「我々が、資金も人も提供すると言っているのに・・・」と合点がいかない様子。私たちは日本人なので、組織の”本音”が透けて見える。要するに「面倒臭いことはしたくない。現状維持でいい」のだ。

 しかし、私たちも歯がゆさを感じ、このまま諦めたくはないので、「回り道をしてでも」と、代替案を模索している。壁が高いほど、挑戦する意味があり、成果が大きいと信じている。

 最近、多くの病院でボランティアが活動するようになってきた。真の意味で”開かれた病院”になるには、さまざまな人を受け入れるだけではなく、病院にかかわる人々の意識もオープンになる必要があると思う。

 世界最高のがん専門病院と言われるメモリアル・スローン・ケタリング・がんセンター(米国・ニューヨーク)のホームページに、元音楽教師によるボランティア活動が紹介されている。彼は病室を訪れて、入院患者のリクエストに応じて、歌ったり、ピアノやギターを演奏するほか、院内の合唱団を指導している。週1回の練習には、入院患者、職員、ボランティアの有志が参加し、クリスマスやバレンタインデーにミニ・コンサートを開くという。各の立場は違っても、「一緒に歌を歌い、音楽を楽しむ」という姿勢がいい。患者とそうでない人々との人間的な交流が進めば、病人を特別視したり、社会から遠ざける傾向は薄れるだろう。「現在、健康な人でも、いつ病気になるかはわからない。病気を患っても、できる限り、普通の生活をし、人生を楽しみたい」という思いが、あたりまえのこととして、尊重されるようになるだろう。

 日本の医療について、悲観的なことばかり言われている。おそらく、医療現場では政策や医療従事者の業務だけではカバーしきれない領域があり、患者の心理面のサポートはその最たるものではないか。それこそ、ボランティアが活動できる、活動すべき領域だ。この点について、理解が進んで欲しい。

 「皆で支える」という意識と行動が無ければ、日本の医療は良くはならないし、温かみを欠いたままだろう。

 

 

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2007年2月21日 (水)

医と笑い パート2

前の記事は、WNL Project委員長が書きましたが、この記事に関連し、WNL Project事務局(NPO法人キャンサーネットジャパン渉外・広報担当)の私、柳澤も記事をアップします。

記事中にある
>一般に、関東出身者よりも関西出身者のほうが笑いへの理解や馴染みがあるようだが~

というように、私は関西人で、幼い頃より「吉本新喜劇」を見て育ちました。「笑い」と「がん治療の効果」に対する医学的根拠(エビデンス)については、無作為化比較試験が必要ですが(笑)、楽しい方が良いに決まってます。

ところで、私はまだ40を過ぎたばかりで、残念で不本意ではありますが、自らの頭髪が自然に消滅するという悲劇に直面しております。早い話が、この年にして禿げてしまい、いわゆる「若禿げ」の仲間入りをしているわけです。もうなってしまったものはしょうがないので、関西人の私としては、これで「笑い」を取るしかないと思っているわけです。

「笑い」の基準は人により異なり、また時にある人にとっては不謹慎であったり、全く面白くなかったりと大変難しいのですが、これまでの「禿げネタ」をちょっと紹介します。私の笑いの基準は、基本的に「自分を笑いのネタ」にする事で、いわゆる「自虐ネタ」で、他者を例に取り「笑い」を取るべきではないと思っています。

実は、私はついこの前まで抗がん剤を扱う製薬企業に勤務しておりました。そんな中で、会社の同僚や、医療者と、「禿げ」をネタにずいぶん楽しんできました。

私は、関西での勤務も長かったので、ある口の悪い医師はこんな事を私に言いました。

医師:「君は、仕事熱心やな~。見てるだけでわかるわ。」
私:「そうですか?」
医師:「いや、ほんまそう思うわ。そやけど、やりすぎやで。」
私:「ありがとうございます。先生にそう言って頂けると私も嬉しいです。」
医師:「ちゃうがな。いくら自分の会社と製品が好きでも、自分とこの抗がん剤、自分で試す事ないやろ?」
こんな医師が、関西では一人や二人ではありませんでした。

また、仕事上、自社製品や抗がん剤一般の副作用などについての医師・看護師・薬剤師の説明会も何度となくやってきました。そんな中で、はずす事ができない副作用の一つに脱毛があります。特に看護師さんは、勉強熱心で、メモを取りながら説明会に臨みます。私の説明が、血液毒性、悪心・嘔吐・消化器症状と進む中、皆さん熱心に柳澤の顔を見ながら説明を聞いています。しかし、脱毛の説明になると、心なしか看護師さんがそわそわし、これまで熱心に聞いていたのに、目を合わせなくなってしまうのです。私はそんな中、これでは脱毛の副作用についてきちんと説明できないと思い「脱毛している者が脱毛の説明をしますので、是非よく聞いて下さい」とお願いしていました。ここで笑ってくれないととても悲しいのです。

更に、東京に来てからは、部下の子達と説明会にも同行しました。部下の子達は全員、頭髪を有しておりましたので、脱毛の説明も堂々としたものです。部下の説明が終わった後、質疑応答があるのですが、ある部下が言いました。
部下:「課長、同行ありがとうございました。」
私:「え~よ。上手にできたな~。」
部下:「ところで、課長と一緒の時は、看護師さんたちの質問も違うんですよね~」
私:「何がちゃうねん?」
部下:「課長がいる時は、みんな脱毛の質問しないんですよ」
これはいかんと思い、その後の説明会の同行では、「私は脱毛していますが、どんどん脱毛の質問をして下さい」と言うようなりました。ここで笑ってくれないととても悲しいのです。

ところで、会社内の後輩や部下に「禿げ」の話題で突っ込んでもらうのは、この上なく楽しかったものです。
後輩:「柳澤さんは、どこで散髪してもらってるんですか?」
私:「表参道のカリスマ美容師や。」
後輩:「やっぱりですか?そのてっぺんあたりのカットは難しそうですもんね~」
私:「なめんてんのんか?」

すいません。書き出したら、止まりません。このプロジェクトとは何の関係もない記事になってしまいました。しかし、米国では抗がん剤による副作用の脱毛すら楽しんでしまおうという活動やWeb Siteがあります。「Bald is Beautiful」というもので、「禿げは美しい」というものです。私の「禿げ」は美しいとは言いませんが、元の会社の同僚も、家族も、CNJスタッフも、私の「禿げ」で笑い、喜んでもらえるなら、幸せです。

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医と笑い

 医療と笑いがコラボレートすると私が知ったきっかけは、約1年前の主治医との会話だった。

 調べてみると、米国のジャーナリスト、ノーマン・カズンズ氏が喜劇映画を見て、難病の膠原病を治し、日本でも、漫才、漫談、吉本新喜劇などを楽しんだがん患者のナチュラル・キラー細胞が活性化したとか、漫才を聞くことによって、糖尿病患者の血糖値上昇が抑えられた--などの実験結果があるとわかった。その後、日本社会の閉塞感を破ろうとする世相の反映なのか、社会のさまざまな局面で笑いを取り入れる動きがあることも知った。

 全国のがん患者団体が多数、参加している「がん患者ネット」も、「医と笑い」に目をつけていた。大阪で昨年8月、「なんばグランド花月劇場」を製薬会社の協力で借り切り、がん患者や家族にお笑いを楽しんでもらいつつ、収益はがん患者団体に寄付されるというイベントが催された。東京で10月に行われた同様のイベントでは、緩和ケアについての講演と落語が企画された。

 私はどちらにも参加し、大いに楽しませてもらった。こんなに楽しい形で、チャリティー・イベントが行われたこともうれしかった。

 主治医は「僕は笑いで、患者さんをリラックスさせたりするのは苦手なんです」としながらも、「笑いの効用には興味がある」と言っていた。一般に、関東出身者よりも関西出身者のほうが笑いへの理解や馴染みがあるようだが、後者である主治医は、笑いに思い入れをもっているようだった。11月には勤務する病院で、笑いの実践に取り組む研究者やお笑い芸人を招いた市民公開講座を実現させ、上機嫌で司会を務めた。

 ところが、その結果、皮肉な事実に直面することになった。この講座の後、主治医は患者らに「そういえば、この病院の医者って、笑わないですね」と言われてしまったのだ。

 主治医は「隗より始めよ」とばかりに、同僚たちの”笑いごころ”を養う”医と笑いのプロジェクト・フェーズ2”に突入した。職員研修で「笑い」の連続講座を行うべく、準備をすすめている。応援したい。

 日本人はジョークやユーモアのセンスがどちらかといえば欠けているから、患者を大笑いさせることまで医療従事者に望まない。でも、笑いが患者の免疫力を活性化させるほどの力をもちうることを知って、患者に対応してもらえるようになれば、ありがたい。からだのみならず、心にもストレスを抱えるがん患者にとっては、なおさらだ。

 新年度から、患者の精神的ダメージを最小限にとどめる「がん告知」の仕方を医師が学ぶ講習会が全国規模で開かれる。大学の医学教育などで、患者の感情や生活の質(QOL)を重視するカリキュラムが組まれておらず、医師の心ない発言で患者が傷つくケースが相次いでいるとの反省に基づくという。

 医療従事者とよい関係を築くには、患者側も努力しなければならないとも聞く。できることなら、激務に追われる医者や看護師を笑いでなごませる患者になりたい。 

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2007年2月20日 (火)

”カフェ・ランス”もいいぞ

 17日に載せた「”バー・ランス”はいかが」を読んだ仲間に、「のんべえの発想」といわれた。確かに、お酒を飲まない人はバーには来てくれない。

 そこで、「”カフェ・ランス”もあり」と思いついた。これも参考例がある。

 私の友人は小田和正さんの大ファンだ。還暦を迎える今も、ひたむきに歌い、コンサートの舞台上で走ったりする小田さんに、「生きる力をもらう」と言う。

 先日、東京・南青山で彼女に会い、連れて行かれた場所が、小田さんがファンのために開いた店、「Far East Cafe」だった。ちなみに、私はファンというほどの熱意はないが、オフコースや小田さんの歌はよく聴いているので、快くつきあった。

 さほど目立たぬビルの2階に、そのカフェはあった。室内には、小田さんのさまざまな写真パネルが飾られ、小田さんの写真を載せたカレンダーなど、ファンにとっては垂涎の的であろう、小田さんグッズが販売されていた。有料での喫茶のサービスがある。部屋の中央には大きなテーブルと椅子、さらに、見やすい位置に大きなスクリーンがある。小田さんのコンサートなどを映したDVDが、絶え間なく流されていた。

 友人と私は椅子にかけてお茶を飲み、しばらくDVDを見た。小田さんのファンなら、どんなに長時間いても、あきないだろう。集っているのは小田さんが好きな者同士。皆のリラックスした気分が、なにやら、心なごむ雰囲気をつくっていた。

 ”カフェ・ランス”を開くなら、そんなふうにしたい。いろいろなアイディアが浮かぶ。例えば、このブログの最初で紹介したLance Armstrong Foundationのマニフェストは、ホームページでは動画にもなっている。http://www.livestrong.org/site/c.jvKZLbMRIsG/b.736591/k.E20E/Manifesto.htm

"Live Strong"を表現した、めちゃめちゃかっこいい映像なのだ。それを店内で流したい。

 がん患者も、自転車選手としてのランスが好きなファンも、おしゃべりも、のんべえも皆で知恵をしぼり、力を合わせて、”カフェ・ランス”をつくろう。

「”カフェ・ランス”へ、ようこそ」

 

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2007年2月19日 (月)

自転車を愛す

 ランス君が来日したら、自転車に乗って欲しい。黄色のジャージをまとった、ツール・ド・フランスでの勇姿をほうふつさせる彼を見てみたい。日本でランスのことをよく知っているのは、自転車ファンだ。だから、日本の自転車ファンの皆さまに、このプロジェクトに協力してもらえないかと思っている。待つのではなくて、こちらからお願いに行け!って? その通りですね。

 例えば、自転車好きで知られる有名人に歌手の忌野清志郎さんがいる。彼は昨年7月、咽喉がんを患い、治療に専念すると発表した。ホームページに「ファンの皆さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。何事も人生経験と考え、この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療に専念できればと思います。またいつか会いましょう。夢を忘れずに!」と自筆のコメントを掲載した。快方に向かっていることを祈りたい。

 自転車に関心を寄せる政治家もいる。谷垣禎一財務相は昨年6月、「自転車活用推進議員連盟」(こんな議員連盟があるのだ)のメンバーとともに愛用の自転車で皇居を一周し、地球温暖化防止を訴えた。自転車は地球にも、人にも優しい乗り物だ。環境対策でも、自転車は注目されている。

 実は、私もかつて、自転車大好き少女だった。子供なりに、自分の力で、自分の好きなところに自由に行くことができるという解放感がたまらなかったと記憶している。現在も時々、高田馬場の住まいから新宿へ自転車で出かける。

 外国でも自転車に乗った。英国・ケンブリッジで語学学校に通ったころ、移動手段はもっぱら自転車だった。パブに飲みに行くにも、自転車を使った。起伏が全く無い、平らな街だったので、他の交通機関は必要なかった。

 地球温暖化対策の取材でヨーロッパを訪れた際には、デンマークの首都、コペンハーゲンに寄った。City Bikeという、公営レンタル自転車と言うべき制度を取材した。街の中心部に小さな駐輪場が数十あり、自転車が置かれていた。デポジットを入れると、鎖をはずし、誰でも自転車を借りることができる。利用した後、他の駐輪場に返せば、デポジットが返ってくる。

 観光客が自転車に乗って、市内観光するというツアーも行われていた。初めての地、石畳の道で、ガイドに遅れないようにと、必死にペダルをこぐのはなかなかスリリングだった。歩くときより視界が開け、風をあびるのだから、気持ちがよかった。

 乗って楽しく、スポーツにもなり、地球にもやさしい・・・といいことづくめの自転車。日本で、がんに思いをはせながら、ランスと一緒にペダルを踏むのは、いつになるだろう。

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2007年2月18日 (日)

がんと年齢

 昨日、がん患者サポート団体のグループ・ミーティングに参加した。

 この団体は米国のがん患者サポート団体の日本支部で、会員はがん患者。同じ病気の者同士、日頃の思いや疑問などを率直に語り合い、そこから”生きる力”を育むグループ療法を行っている。部位別のミーティングもあるが、土曜日は主に、仕事をもつので、ウィークデーのミーティングに参加できない会員が参加し、部位は問わない。参加者のがんの発症部位は、乳房、大腸、胃・・・そして、私は肺という具合だ。

 一人が「友人に、自分ががんになったことを言うべきか」という問いを出した。年配の女性がすぐに、「私は言いましたよ。一人に言ったら、その人が放送塔になり、学校時代の友人が皆、知ってしまいました。でも、次々と慰めてもらったので、よかったです」と話した。

 私は日頃、感じていることを言いたくなった。「がん患者の年齢によって、がんの受けとめ方は違うと思うのです。失礼ながら、年齢が高くなるにしたがって、がんになる人の割合は増え、がんに対する理解が進んでいるように思います。がんになったからって、皆がすぐに亡くなるわけじゃない、ということがわかっている。しかし、30、40代でがんになると、がんになる人は圧倒的に少ないので、回りの人ががんのことを理解しているとは思えないのです・・・」

 ちなみに、私は40代初め、相棒のきゃんべるは30代後半でがんになった。がん発症時の年齢について、共通の認識がある。私たち世代はまだまだ元気な盛りだから、死を連想させる病、がんとのギャップは非常に大きい。今も昔も、ドラマで不治の病いといえば、白血病をはじめとするがんだ。悲劇のネタとして使われるがんには馴染みがあっても、身近な人ががんになるなんて、日頃、考えることは無いだろう。

 先日、がん仲間で話した際、同じがん患者同士であっても、我々のような”若年”患者は、年配のがん患者に同情の目で見られている・・・との指摘もあった。

 しかし、若くしてがんを患ったゆえのメリットがありそうな気がしている。きゃんべるは「がん患者は、権利の主張をするだけではなく、責任を果たすべきだ」と考えている。だからこそ、がん患者ならではの思いと視点に基づき、問題を指摘し、変革するために行動している。この年代の患者ならば、社会に打って出ていくパワーがあるということだ。

 ランス君も25歳で睾丸がんを患ったので、若いがん患者に特別の思いをもつようだ。Lance Armstrong FoundationはYoung Adult Allianceというネットワークをもっている。

 そういえば、さらに若い、子供たちのがんの状況やかかわる人々は大人のがんをめぐるそれとは全く違う。

 ゴールドリボンってご存知だろうか。ピンクリボンは乳がんのシンボルとして有名になった。ゴールドリボンは小児がんを意味する。小児がんへの理解を深めるために、3月24日、皇居の回りを歩く「ゴールドリボンウオーキング2007」というイベントが開催される。参加費の大人1000円、小中学生500円は小児がん経験者を支援する「ゴールドリボン基金」に寄付される。イベント会場となるのは、日比谷公園噴水広場だ。

  桜の花がほころび始めるかもしれない、この頃。ゴールドリボンのメッセージを伝えるために、一緒に歩きませんか。

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